吉祥寺の音楽スタジオGOK SOUNDです。

吉祥寺にある音楽スタジオGOKSOUNDのブログです。GOK通信の記事の閲覧、新譜の紹介やバンド、アーティストの紹介、イベントの紹介などしようと思います。

vフリースペース
GOK通信とはGOK SOUNDと共同で発行する新聞みたいなもの。 GOKにゆかりのあるミュージシャンにコラムを書いてもらい、ライブ前や転換中の待ち時間に読んで暇を潰して頂こうという事で始めました。1話読みきりになっていて奇数月、偶数月でライナーが代っております。 5日~10日頃に都内ライブハウスの折り込みやフライヤー置場にあります。 paperGOK通信は無料ですので、見つけたら読んでみて下さい。

そして、このWEB SITEはそのバックナンバーを購読してもらったり、GOKにかかわるミュージシャンのレアな情報源となり、その収益で購読者もミュージシャンも懐が温かくなるような事を目指して運営していきます。 まだ、実験的な段階ですが、少しづつコンテンツを充実させて行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

*注  有料のコンテンツをご覧になりたい方は、FC2のIDを取得して、ポイントをご購入いた上、月単位(1か月~12か月)でお申し込みされると、カテゴリにある(有料コンテンツ)がすべてご覧に頂けます。
8月末まで一部のコンテンツは無料でご覧に頂けます

GKR coba

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
7号小川紀美代

Querida Argentina!~親愛なるアルゼンチンへ~第四回

 今回はバンドネオンという楽器について書きたいと思います。日本では「アルゼンチンタンゴを弾く楽器」として認識されていますが、そのルーツはなんとパイプオルガンの携帯型です。

そして、アルゼンチンではまったくといっていいほど製造されておらず、もともとはドイツで作られ、船の中で賛美歌を弾いていたというのです。港町のブエノスアイレスに流れ着いて、タンゴによく合う音色だということで使われるようになったらしい。ちなみにもともとのタンゴはギターやフルートで演奏されることが多かったようです。

 また、別名「悪魔の楽器」と呼ばれており、複雑怪奇な奏法にもかかわらず、人間の感情を恐ろしいまでに表現してしまうといわれ、虜になった人は社会生活を放棄してまでバンドネオンにのめりこんでしまう…私のように(苦笑)。バンドネオンを手にすると運命が変わるとか、何かとそういう因縁めいた逸話の多い楽器です。

 近年、バンドネオンがアルゼンチンからヨーロッパ、日本に大量に持ち込まれ、タンゴの本国であるアルゼンチンで手に入りにくくなるという現象が問題になっているようです。先日、某N○Kからも取材をうけ、報道番組も作られましたが…いやあ、アルゼンチンの経済破綻で、タンゴミュージシャンがばしばし日本に持ち込んですっごい高値で楽器売ってますしね…。ブエノスの楽器屋でも、観光客向けにつかえない楽器を山ほど売りつけてきます。ヨーロッパ人、日本人が購入していくのが元凶なんて氷山の一角もいいとこです。そういう社会問題は、ぜひとも多角的に取材してほしいものです。

 しかし、見た目も相当魅力的な楽器なので、骨董マニアのかたとかで収集している人も少なくないと聞きます。ぜひ…ぜひとも…其の楽器を演奏者に放出してください!お願いします!楽器は弾かれてなんぼ。飾られているばかりでは、使い物にならなくなります。

 ちなみに、バンドネオンは1920~1930年代に作られたものがほとんどで、現在ほとんど製造されておりません。絶滅危惧種の楽器です。タンゴは滅びの美学、などとおっしゃる方もいますが、私などは失業の危機であります。現在、生きている音楽をこの魅力的な楽器・バンドネオンで演奏するためにも!ぜひ、ご協力を!切に!!!  小川紀美代(バンドネオン奏者)
スポンサーサイト
7号大友良英

音楽事始第3回1970年代前半2 最初の楽器

 オレの中学生の頃ってのは、実にいけてない感じで、成績こそ良かったけど、それ以外は、なにをやってもぱっとしないじみ~な男子だったのだ。だいたい運動神経がなかったのが致命的。女の子にアピールしたくても文科系じゃあね。
 唯一人と違ってたところがあったとしたら、シンセのようなものを中2でつくったことではないかな。親父が電気技師だった関係で、家には普通に電気工具や真空管がごろごろしていて、中学にあがったころにはラジオくらいは作れるようになっていたのだ。
 深夜放送でロックにはまって以来、音楽をやりたい気持ちだけは強くあって、でもそんなこと恥ずかしくて誰にもいえなかった。楽器なんてなにひとつ出来なかったし、そんな才能があるとも思えなかったのだ。そんなわけで、オレが最初に目指したのはラジオ局のエンジニア。これなら電気の知識もあったしで、出来そうな気がしたのだ。当時の日記によると、自分で移動可能なラジオ局をつくって、好きな音楽を流しながら、これにシンセの音をかぶせたりテープコラージュで番組をつくったりするのだ…なんてことが書いてあって、これじゃ今やってることとあんま変わってない。ってか当時リミックスとかサンプリングなんて考え方はなかったのに、やるじゃん、オレ。
 で、最初に自作したのがこのシンセ。電気工作の雑誌に簡単なシンセの回路図が出ていて、それを真似てつくったものだ。当時出たばかりのミニムーグは僕らには夢のような楽器で定価は数十万円。中学生が逆立ちしたって買えるような金額ではなかった。自作するしかない。今から考えるとシンセと呼ぶのもおこがましい発信機に毛に生えたようなものだけど、それでもつまみをひねってピュ~~ンって感じで音が出たときは本当に興奮した。写真は当事の日記に書いた自作シンセのスケッチ。脇にMOOGなんて書いてあるのは、まあ興奮して憧れをそのまま書いたんだろうなあ。
 このシンセ、確か夏休みだか冬休みの自由課題ってことで学校に持っていってみんなに見せたんだけど、誰にも興味を持ってもらえなかった記憶がある。しょぼん。これで女の子にも注目されるかと思ったのに…。
 人前で音楽をやるようになるのはもう少しあとのこと。でも最初からうまくいったわけではもちろんない。そんな話はまた次回。 (大友良英)
「梅津のすっぽんぽん便り4」 

 まもなく還暦になろうとしているのに、野球に夢中である。野球と いってもプロ野球を観戦するのではなく、自分でグローブを持って走り回る草野球のほうだ。もちろん軟球。このボールは日本にしかないと思うのだが、この球を発明した人は天才だと思う。柔らかすぎないし、体をこわすほど固くもないから、私のような素人にも安心して扱える。

 西荻窪のヘイガースという呑み仲間のチームに入ったのは、彼らが2000年の区大会で初優勝した記念にCDを作り、私がそれに参加したことから始まった。「ギャラはいらないからユニフォームをくれ」と、頼んだのだ。

 小学校の頃はまだリトルリーグなどというものはなく、近所の草むらをみんなで鎌で刈って自分たちの球場を作った。背が小さくてなかなか9人に入れてもらえないので、当時は珍しい左打ちにむりやり転向し、姑息にもバントの練習などを頑張って、「やっぱり2番バッターは左でバントの上手い奴が」という、テレビからの受け売りを利用して2番、セカンドに定着した。中学校では野球はまったくやらなかったが、無駄に広い校庭を持っていた高校ではブラスバンド部のくせに、しょっちゅうグローブを持って遊んでいた。バンドマンのチームでも時々はジャージ姿で野球を楽しんだ。そう、ユニフォームを着ることは50年間の夢だったのだ。

 それでも、その当時は腰痛もあったし、足の指の骨折、などというハプニングもあって、実際に試合に出られるようになった時は4年後、54歳になっていた。久しぶりにグラウンドに出て気がついた。ふだん、こんな広い空の下にいることなど、まずないのだ。もう、それだけでも気持ち良い。私にはもう一つ夢がある。それは子供の頃から一度も打ったことのないホームラン。小学校の時一度だけあったそのチャンスは3塁コーチに止められたのを、未だに夢に見ることがある。そのホームランを生涯に一度だけでも打つことなのだ。

 こまっちゃクレズマは野球はしないけれど、7/28に葉山の海小屋へ。そして8/30には都電荒川線でのライブ。

 みなさん、今年の夏はクーラなんかにあたってないで、外に出て元気に遊びましょう! 梅津和時
映画『色即ぜねれいしょん』オリジナル・サウンドトラック (大友良英)レーベル:UK Project(日本)
CD番号:UKCD-1129
価格:税込¥ 1,995
7月22日発売!


みうらじゅん原作、田口トモロヲ監督、大友良英が音楽担当の映画『色即ぜねれいしょん』のオリジナル・サウンドトラック。

原作:みうらじゅん『色即ぜねれいしょん」(光文社文庫)
監督:田口トモロヲ
脚本:向井康介
音楽:大友良英

歌:渡辺大知(黒猫チェルシー)・峯田和伸(銀杏BOYZ)・岸田繁(くるり)他
演奏:Guitar 大友良英/Strings arrange,Keyboard 江藤直子/Bass 西村雄介/Drums 中村達也/Trumpet 佐々木史郎/Trombone 青木タイセイ/Drum machine 高井康生/Violin小倉達夫/Violin グレート栄田嘉彦/Cello 笠原あやの/Viola 山田雄司/Blues harp 百々和宏

録音スタジオはGOKSOUND、エンジニアは近藤祥昭。最強のキャスティングです。
勝てる気がしない。(あれ?何に勝つんだろ??)
Arc'd-X  (橋本一子)タイトル: Arc'd-X
アーティスト: 橋本一子×AQ
発売日: 2009/07/08
規格品番: DDCZ-1618
レーベル: najanaja
ジャンル: MUSIC > J-JAZZ


1.All Right
2.Latina
3.Arc'd-X
4.Baby,baby
5.Jazzz
6.Bossa Cruise
7.Love Scope
8.Aqua
Cruz del Norte~北の十字架 (小川紀美代)バンドネオンソロアルバム第二弾
「Cruz del Norte~北の十字架」
発売日:7月5日発売
CD番号:KAZA-0002
価格:税込¥2500



彼女の奏でるバンドネオンの音色に魅了された私は、心の奥底から湧き上がってくる思いを、飾りの
ないことばで表し、贈りたいと思う。紀美代は正真正銘のアーティストだ。ここに録音された、自作を含む曲の数々がそのことを証明している。
親愛なる友よ、またチャカレーラを一緒に演奏するために、サンティアーゴは君を待っている。
2009年4月、サンティアーゴ・デル・エステーロにて (フアン・カルロス・カラバハル)

1.アルフォンシーナと海
2.A MI JUNTA BRAVA
3.CRUZ DEL NORTE
4.祈りI~III
5.眠れぬ夜、君を想う
6.YOUR SONG

ララバイブラザーズふたりごと‐第三回

 どーも、ララバイブラザーズです。さて、我々‐ララバイブラザーズはピアノとギターの二人組みであり、仮想的な兄弟であり、もう少し砕けた表現を使うと" 他人" であります。しかしまあ、縁あって15 年以上(ブランクも含めてですが)も一緒に演奏を続けているのだから、なんとも不思議なもんです。そんな中ピアノララバイは、東京に居るギターララバイを残し、大人の事情で数年前から関西に在住。これは遠距離音楽活動とでもいうのでしょうか?

 ありていな言い様になりますが、距離の近さというアドバンテージも失って初めて気がつくもの。定期的なリハーサルやアイデアの交換は減り、近況を報告するようなことも無くなり、モチベーションを維持するのもケッコウ大変です。いささかロマンティックにも聞こえますが、三十絡みの男二人のあいだで起こっている出来事だと思うと、気持ち悪さも一入。それでもしかし何とかせねばと、ギターララバイが夜行バスで関西へ、或いはピアノララバイが新幹線で東京へと、行ったり来たりするワケです。格差社会。

 時に夜行バスというのは独特の空気を持ってますね。長距離移動の花形は航空機が世界を縮め、寝台列車が紳士淑女の愉しみとなった現在にあってなお、安価で且つ時間を節約できる移動手段であり続けているのは大したものです。この、いわば" 持たざる者"に寄り添うが如き在り方ゆえか、夜行バスには疲労にも似た、ややもすると退廃的な空気が漂っているように思います。

 乗客は泥人形のように眠りこけるか、まんじりともせず夜を明かすかのどちらかです。それはどこか罪悪感のようでもあり、決して広いとも静かともいえない車内に詰め込まれた人々は皆一様に押し黙り、自分が逃げ出してきた場所からの追っ手に脅えているみたいに見えます。

 実のところ、セレブリティのための夜行バスも存在します。バスのビジネスクラスみたいなもんで、マッサージチェアのようなリクライニングシートに、充実したアメニティを備え、場合によっちゃあ無線LAN からネットにも接続できます。スゴイ時代になったもんだ。ただし、値段は倍くらいになりますが... 

 でも、やはり夜行バスの醍醐味はある種のデカダンスにあると思いますね。貧乏旅行バンザイ! そんな中でもグッスリ眠りたいというアナタにとっても役に立つアドバイスを。リラックスできる服装と簡易枕、適度な水分、携帯音楽プレイヤーとお気に入りの入眠ミュージック(例えばララバイブラザーズとか...)も大事ですが、最も効果的なのは疲労と寝不足!

これに限ります。泥のように、丸太のように、先に眠った者の勝ち。いやー、役に立つなあ ! 
(ララバイブラザーズ)
【 神のみぞ知るNo.4 】 *パクり虫と石楠花の関係を斬る!

 むかし、プラスチックスが『コピ、コピ、コピ、コピ、なんでもコピー』って歌ってたけど、戦後の日本はまさに西洋のコピー文化。コピーてなんぼ、パクってなんぼ、でね。

 アニメが日本主体型で輸出国になっている反面、音楽の世界は受け身が当たり前。50 年代にアメリカのヒット曲を日本語歌詞にして歌っていた時はまだ平和のへ。その後、欧米のヒット曲のメロディーやアレンジをそのまま頂いたコピーor 亜流ものが出現。大胆にもパクってもさすがに歌が上手く、アーティスト・パワーの強い歌手については、原曲の出典をまったく感じさせないオリジナリティーを持ち合わせているものもある。

 例えば、ユーミンの『ひこうき雲』。これはどっから切ってもプロコル. ハルムの『青い影』。コード進行やオルガンをうまく使ったアレンジもそっくり。が、しかし、ユーミンのひこうき雲を聴いて、プロコル・ハルムだ、なんて思う人がいるだろうか。ユーミンのアーティスト・パワーとセンスが、原曲と違う異次元の世界に持って行ってしまっているのは、間違いない。

 そして、同じ時代のもので、井上陽水の『傘がない』。これはグランド・ファンク・レイルロードの『ハート・ブレイカー』にそっくり。これもコード進行やアレンジはかなり肉薄しているのだが、井上陽水は歌が恐ろしく上手い。こんなに上手く歌ってくれれば、元曲出典なんてなんのその、まったくの井上陽水ワールドである。 80 年代に入ると、アイドル化が悪い方向に進み、歌がイマイチになった分、パクリがパクリだと誰もが分かるようになって来てしまう。

 例えば、石川秀美の『もっと接近しましょ』。当時のシーラ.E の大ヒット曲の何ものでもない。90 年代以降なら、訴訟問題になっていたかも知れない。レベッカのヒット曲は、曲だけでなく衣装までマドンナだったり。ええっ、それホントにいいの??っていう感じ。岡村靖幸のように自称プリンス・マニアで、なにからなにまでプリンスそっくりさんなら、ここまで行けばシャレとしてもユーモアとして岡村の開き直りやバカバカしいほどの執着心には拍手を送ることが出来る。コピーをさらに突き抜けた偏執狂的な姿勢があるのは強い。やはり、ポップ・フィールドでも変態さや偏執狂さは、面白く化けて、新たな個性になるもんである。

 そう言えば、ずいぶん昔、ジョージ・ハリソンの大ヒット曲『マイ・スウィート・ロード』が、60 年代の黒人コーラス・ガール・グループのザ・シフォンズの『いかした彼』にそっくりだとうことで訴えられて、さすがのジョージ・ハリソンも負けてしまった、という事件があった。とにかくこれは、楽曲の展開の部分以外ほとんど同じ。これは訴訟が起こってもしかたがないか、と思うくらい。 でも、ジョージ・ハリソンもパクりを素直に認めたところは、ミュージシャンとしてもいさぎいい。しかし、ここでのパクり問題は、もちろんジョージ・ハリソンのアーティスト・パワーもあり、誰も認める自分のオリジナル曲化していた状態なのに、訴えた方はやはりジョージ・ハリソンのお金に目がくらんだのかもしれない。

 たった12 音しかない音程からメロディーを作り出すのは容易ではないことである。クラシックのような様々な楽器が絡むオーケストレーションであれば、かなり変化はつけられるものだが、歌メロのようにシンプルな単音の場合、これは最小公倍数のかなり少ない組み合わせである。どう見ても、同じようなものが多数存在しても、納得がいくものである。

 が、しかし、やはり人間が奏で歌ったり演奏するものであれば、その人なりの人間味が音楽の個性を作っていくものである。表面的に似たようなメロディーがあっても、それを超越するエネルギーや音楽に対する執拗なポジティブさがあれば、それはそれでその人の新たな作品になる。12 音しかない数少ない音から綴れ織っていくものだから、余計にそのシンプルな中から個性が分かり易いのかも知れない。

 もし音が100 個も種類があったら、それはそれで面白いそうだが、組み合わせの技巧ばかりがクローズ・アップされて、その人なり個性は分かりにくかったんだろうな。12 個しかない音世界でホントによかった*|*  ( ホッピー神山)


hoppy_kamiyama
HOPPY 神山


1978年、プロデビュー。1983年「PINK」に参加、80年代を代表する音楽プロデューサー、キーボーディストとしての評判を確立。
90年代初頭には東京のart-noise-punk-funk-alternativeシーンを引っ張る重要な人物となる。1990年、1991年に東芝EMIよりソロ・アルバム「音楽王・1」「音楽王・2」をリリース。 1993年、自ら「GOD MOUNTAIN」レーベルを立ち上げ、1995年にはアンビエントレーベル「GOD OCEAN」をも立ち上げる。
1994年宮本亜門のミュージカル「サイケデリック歌舞伎・月食」の音楽を担当。1999年には、フランスのレーベルSONOREより室内楽を中心としたアルバム「Juice&Tremolo」を発表。 再び2003年、God Mountainをリニューアル、リリースを再開。2005年、ソロCD+DVD『意味のないものは、意味がある』を発表。 2006年、伝説のブリティッシュバンド、ソフトマシーンとの合体バンド『ソフトマウンテン』CDをリリース。2007年、初のピアノソロ・アルバム『もしもしピアノが弾けますよ』をリリース。
一方、プロデューサー、アレンジャーとしては、国内では小泉今日子、氷室京介、センチメンタル・バス、Chara、Judy&Maryなど2000曲を越えるアレンジ&プロデュースの仕事を過去手掛け、 TVCMでも2004年のトヨタ・カローラフィルダ-『明日はどこへいこう』など多数のヒットCM音楽を手掛けている。
レーベルを主宰し、世界中のネットワークを築き上げ、多数のバンドにボーダレスなパフォーマーとして参加している。
 【So Cool ? So Hard ! No.3】

 だれにでもわかることだが、ピアニストは楽器を持ち歩くことが出来ない。数ある楽器の中でピアノという楽器を選んだミュージシャンは、(クラシックの超大御所を覗いて)家にどんなに良い(高い)ピアノを持っていたとしても演奏するときは会場の楽器を使うしかないという宿命を持っている。 素晴らしいピアノに巡り会えることがある反面、調整不足のピアノ、オンボロピアノ、ひどい時には弦が切れていたり一年も調律をしていない、ということもある。

 メンテナンスの行き届いたスタジオやホールでもない限り、ジャズ・ポピュラー系のピアニストは毎回かなり苦労して現場のピアノと格闘する。もちろん多くのライブハウスは毎日調律できるわけもなく、調律したてならラッキー、「明日調律です」などという場合もあり、運に大きく左右される。それでも我々ピアニストは「そこにあるピアノ」でなんとかより良い演奏をすべく格闘するのだ。

 そもそもどんな楽器でもそうだが、同じ楽器でも演奏者によって音色は大きく変わる。まずは購入時に試奏し、気に入ったものを探す。その後、調整したり磨いたり(?)弾き込んだりしているうちに、楽器からその持ち主独自の音色が生まれて来る。

 いいなー、ピアノ以外の人って、っていうのは多くのピアニストが感じていることだ…とはいえ、 ピアニストは仕事に手ぶらで行くことが出来るわけで、楽器の搬送に疲れると「ピアニストっていいなー」と思う非ピアニストもいるかもしれない。

 さて、どんな状態のピアノであれ、その日そのピアノで演奏し表現しなくてはならないピアニスト。長年続けていると、おそらくピアニストそれぞれが独自にその場のピアノと仲良くなる方法を身につけている。

 私はまず全体のバランスを調べ、鳴っていないキーをチェックしてその周囲を含めてその鍵盤を少し強めに弾きつつ、同じように少しずつ広げながら弾き込んでゆく。かなり荒れた状態でも、その場で丁寧に心を込めて弾き込んで調整すれば、ピアノは弾き手に応えてくれるものだ。最近では状態の良くないピアノに当たっても、そのピアノを少しでも響かせることに密かな喜びを感じるようになった。

 ただ…... 昔のことだが、某ピアニストのステージの翌日、私はピアノソロでステージに上がったがいくらペダルを踏んでもサスティーンが効かなくて、本番途中で、ペダルが踏み折られていることが判明したことがあった。そこまでいくとやっぱりやだな(笑)  (橋本一子)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。