吉祥寺の音楽スタジオGOK SOUNDです。

吉祥寺にある音楽スタジオGOKSOUNDのブログです。GOK通信の記事の閲覧、新譜の紹介やバンド、アーティストの紹介、イベントの紹介などしようと思います。

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「梅津のすっぽんぽん便り1」 ~インプロ当たり年の予感~
 2009年は初めっからインプロビゼーションづいていて、とても楽しい。つまらないインプロになってしまうと、演奏を放り出して帰ってし まいたいくらいに悲しいのだが、面白いインプロになると、もうこれに まさる音楽はない!というくらい楽しい。それが、この1月には素晴ら しいインプロがいくつも続いたのだ。

 インプロと一口に言ってしまっても実は種類はいっぱいある。私はそれ ぞれに名前があるとは思わないし、違っている,という認識も誰も思ってはいないのかもしれないが、確実にその違いはあると感じている。クラシカルでわりと無機的に透明な美を追求するもの。アイラーや日本のフリージャズのように、ひたすらエモーショナルな表現を重要視するもの。それぞれとの絡み合いから音楽を編み物のように編みあげていくもの。リズムを楽しむもの。それも単純にグルーブを楽しむものや、ミニマルのようなポリリズムや、変拍子や瞬時のリズムの変化を楽しむものなど、いくつかに分けられると思う。さらにパロディを入れたり、笑いや皮肉、批評,時には自虐ネタなども入れ込める。そして、それらの中には自分の経験してきた全ての音楽の要素をぶち込める。クラシック、ジャズ、ポップス,ロック、民族音楽etc...etc。

 これらは、それぞれ自分が年代を経ながら体験してきたものだが,困った事にそれら全てが好きだ。できればそれら全部をひとつのパフォーマンスに入れてみたいとも思うのだが,それぞれが相反する特徴をもっていたりするために、だいたいにおいてはせいぜい一つから三つくらいまでの組み合わせになる事が多い。また、新しい技術を持ち込むことも大切な要素であるが,それも面白い時と面白くないとき(面白くない事が面白い時もある)があり、つまりはそれを使うその人の感性しだいな訳なのだ。

 さて、長々と学研じみた事を書いてしまったが、要するにビックリしたわけだ。私はほぼ40年かけてこういった事を学習し,さらに技術と瞬発力を持って今ここにいるわけだが,あっさりとそういった事を乗り越えていく人達がいる。なにが面白いって,ここまで書き出してきた事どれにも当てはまらないインプロが一番面白く新鮮な訳なのだから。 (梅津和時)
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【神のみぞ知る No.1】 

 GOKレコードから依頼されて、このコラムの連載を頼まれた。そもそも3月1日にGOKレコードから新しいピアノソロ・アルバムをリリースすることに端を発している。つくづく思うのだが、今年で芸歴30年を迎えた自分にとって、ピアノという楽器を自分の音楽の顔に構えるのは、ほんのここ数年のこと。そうなのだ、数年前までは、ピアノ・アルバムをソロとして出すなんて、考えもつかなかったこと。そして、私が弾くピアノがいいから歌の後ろで伴奏してくれとか、ピアノソロ・アルバムを作った方がいいよ、なんて他人から唆されもしなかったら、有りもしなかったことだ。

 もちろん、自分がプロデュースやアレンジしているレコーディングでは、スタジオ仕事としてピアノは弾いてきた。でも、極力人前でライブで、ピアノを弾くことを拒んで来たのだ。まず、音楽の仕事を始めた80年代の初頭辺り、TOTOなるアメリカのウェスト・コーストのバンドが日本でも流行り、ツイン・キーボードという形式が大流行りしたのだ。その2人のキーボードの内訳は、ピアノ奏者とシンセ奏者のふたりである。どう見ても座って弾き、後ろの方のセッティングされがちのピアノ奏者は地味なのである。
 
 そうすると、ハデでアクティブな動きがよく分かり、音色的にも面白い個性を出しやすいシンセを選んだのは、必然的な事である。それ以来、私のステージでのイメージは、Prophet-5やMini MOOGなどを駆使し、ハデなアクションでシンセを弾く姿が定着してしまった。それで、そのスタイルを自分の様式美とし、固持して、2000年過ぎくらいまで来てしまったのだ。まあ、デミセミのエミちゃんとふたりでドラッグクィーンのカッコしてピアノをガンガン弾きまくった辺り(1998年~)から、もう人前でピアノを弾かないのも潮時かな、と思っていたのかも知れないが。

 今では、エンちゃんとのママタンゴでもピアノが主力楽器、素晴らしい歌の方々からのリクエストで弾く伴奏もピアノ、自分のソロライブでもピアノ、海外から招聘されるインタラクティブなソロコンサートも、最近はピアノになってしまった。芳垣さんが年に1回プロデュースする月ミル君想フでのピアノナイトにまで2年連続で呼ばれてしまって、なんか自分でも『えっ、いいのかしら?』なんて思う事もしばしば。
 
 まだ自分の中にピアノ弾きという認識がかなり不足しているせいかも知れない。小学校6年生の時に自腹を切って初めて観に行ったコンサートがワイセンブルグのラフマニノフ生誕コンサートで、外国人と日本人の体格と体力の差をまざまざと見せつけられ、その時ピアニストとして決別した自分が、今ではピアニストという大した分野の片割れに入れてもらえるかどうかの今日この頃、考え深いものである。 (ホッピー神山)
【ララバイブラザーズふたりごと 第一話】 

 年が明けたり、年度が変わったりするころになると、過ぎさった時間というヤツをいやでも想起させられます。暦上の春がやってきて、桜が咲いて、でもまだ今年が平成でいうと何年なのか覚えてなかったりして。今年が平成21年であることに、どうにかやっと馴染んだころには、もう次の年がやってくる始末。やれやれ。
 
 この物理的な時間と、我々が感じる時間との隔たりは、年齢を重ねるほどに大きくなってゆくように感じます。感覚刺激には「ヴェーバーの法則」という有名な原則があって、これは簡単に言うと、「刺激の強さの差は、基準となる刺激との比と一致する」というような意味。

 たとえば、100グラムと200グラムの重さという刺激の差は、手で持ってみればすぐ分かりますが、1100グラムと1200グラムの差は分かりにくい。100グラムと200グラムの刺激の差は、同じ比を持った1kgと2kgのそれと同様に感じるということ。これを時間について当てはめてみれば、物理時間と感覚時間の差も、ある程度説明が付けられます。3才児が振り返る一年は、いままでの人生の1/3を占ていたわけですが、還暦を迎えるころに振り返る一年は、人生のわずか1/60に過ぎません。この法則に従って感覚時間を分析すると、たとえ80歳まで生きるとしても、ハタチそこそこで人生の中間点を過ぎてしまうのだそうです。

 生き急ぐ必要を感じます。

 春という節目の季節になると、我々二人が出会った高校時代のことを思い出します。何の因果か卒業まで3年間、ずーっと同じクラスでした。いわゆる腐れ縁というヤツです。それを悲劇とみるか喜劇とみるかはさておき、なにやら運命めいたものを感じてしまいます。あるいは、ピアノとギター以外に友達もいなそうな二人を見かねて小規模な政治的意思が働いたのでは、とも思いますが。

 ともあれ、学生にとってクラス換えというのは、青春時代のベクトルを大きく左右する一大イベントです。現実に、その後10年に渡る我々の人生にまで影響を及ぼしているのだから、やはり因果なものだというほかはありません。逆に考えれば、ある種の環境変化が及ぼす影響がハッキリとした形を取るのは、それが起きてからずっと後だということでもあります。

 比喩的に言えば、時間だけが答えを知っているというヤツですね。ならば、時の不確定性に託すのは希望でありたいし、希望へ向かう意志と努力は忘れずにいたいもの。

 そういえば、今年の年明けにも同窓会があったそうです。我々だけが呼ばれてません。なんてモチロン冗談です。あれ、目から汁が…  以上、ララバイブラザーズがお届けしました!
Querida Argentina!~親愛なるアルゼンチンへ~

 南米、と聞いて何を思い浮かべますか? 肉食、ラテン系の陽気な人々、サッカー・・・などなど。

 なんだかおおらかを通り越して野蛮な感じもする。アマゾンとか、ジャングル? と聞かれたこともありました。私が何度も足を運んでいるのは、アルゼンチンという国です。この国の首都、ブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれ、町並みは古いヨーロッパそのものだといわれています。移民の国、アルゼンチンにはイタリアやスペインからのヨーロッパ系の人たち、もちろん日本や韓国などのアジアからもたくさんの人たちが夢を追って移り住んできました。私の弾いている、バンドネオンという楽器で奏でられるタンゴは、そんな故郷を遠く離れた人たちの望郷の念から哀愁を帯びた曲調が特徴です。

 日本から見ると、地球の丁度真裏に位置するアルゼンチン。時計は途中で時間を合わせることがなければ、日本とほとんど変わりません。昼と夜が逆になるだけです。本当に真裏なので行き方もいろいろ。どっち周りで地球を半周するかだけの問題なので、北米経由か、ブラジル経由か、アフリカ経由かなどがありますが、30時間は飛行機に乗ること、そして日付変更線の関係もあり、2泊を機内で過ごすことになります。私が初めてアルゼンチンにいったのは2001年。しかもそれが初の海外旅行で、現地でアパートを借りて1ヶ月の滞在というものでした。スペイン語もほとんどわからず、知り合いがいるわけでもない。でも不思議と不安な気持ちはありませんでした。

 放浪癖が高じて地球の裏側までいきあたりばったりで行ってしまったわたくし・小川紀美代と、不思議で魅力的な楽器・バンドネオンとのお話を6回に分けて連載させていただきます。どうぞよろしくお付き合いください。  (小川紀美代 バンドネオン奏者)
【So Cool ? So Hard ! No.1】  

 GOKサウンド(以下GOK)とは国分寺時代からのお付き合い。20年以上、へたすりゃ30年近いかも。その後、国分寺から高幡不動に移り、現在の吉祥寺になったわけだが、わたしはそれぞれのスタジオで、アルバムをレコーディングしている。すべてのスタジオで作品を残してるミュージシャンってかなり少ないと思う(エヘン)

 そんななかで、わたし的にもっとも印象に残っているのは、「Under Water ~ 水の中のボッサノーバ」だ。このアルバムは高幡不動のスタジオの引っ越しのさなか(っていうか、ほぼ最終日にかかっていた)でレコーディングされたもの。トラックダウンの途中でピアノが解体されて運び出されていくのを目の当たりにもしたし、あまりの忙しさに、オーナーであり天才エンジニアの近藤さんがトラックダウンの作業中、コンソールに向かったまま寝てしまうというハプニングもあったが、アコースティックで光がキラメクような、素晴らしい音でレコーディングされた。たしかCDジャーナルで年間の最優秀録音賞をもらったはず!

 そして現在の場所吉祥寺へと。しばらくは、その外観から通称「サティアン」と呼ばれていた吉祥寺スタジオ。近藤さんの手作りですこしずつ、現在の形になっていったわけだけれど、近藤さんの、独特で天才的なエンジニアとしての才能は、多くの素晴らしいミュージシャン達から高く評価され、信頼され、素晴らしいアルバムが生まれ続けている。質の高さと、音楽への尽きることのない情熱とこだわりは、音楽に必要のない要素を徹底的に排除して、価格にも反映させ、プロ、アマ問わず、垣根なくどんなミュージシャン(但し、真摯な心を持っていること!)に開かれたスタジオだと思う。

 とはいえ、わたしは、西荻窪のライブハウス「アケタの店」と「GOK」の外観、内装共に容赦のないセンスは、日本でもっともオシャレなスポットのひとつではないかとも思っているのだが。 (橋本一子)
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